2022年1月15日 (土)

ログ

 

高松市にある山城二か所を歩いた。

一つは黄ノ峰にあったとされる黄峰城址。

もう一か所は柴山にある柴山城址。

古いスマホのバッテリーが消耗したため、タブレットに買い替えた。

なので、一度試してみたかったログの性能を新旧2台で試してみた。

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上のログはヤマレコ

 

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こちらはジオグラフィカ。

ヤマレコログは道の上をきっちり歩いているのに対してジオグラフィカは歩いた道とは

異なる黄色の車道にはみ出していました。

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同じく柴山でのログ取りですが、上のログはヤマレコ。

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こちらはジオグラフィカですが、やはり神社への階段のところが

道からはみ出していました。

yamapでも試してみたかったのですが、生憎2台しかないので

たまたまヤマレコとジオグラフィカになったというわけです。

しかし、これはジオグラフィカの性能が劣っていて、ヤマレコが優れているということ

ではありません。

GPSでもっとも大切なのは衛星と受信側の性能です。

ご存じのように衛星はアメリカやロシアをはじめ、日本、ヨーロッパ、中国など

各国がさまざまな衛星を打ち上げていて、性能の良いスマホなどの受信機は

数多くの衛星をとらえる機能を備えていて、最近のものは日本の衛星みちびきを

受診できるものが発売されている。

ただし、性能の良いスマホは値段が非常に高価です。

因みにわたしのものは安価なものですが、スマホと

タブレットの違いが若干あるのかもしれません。

※ヤマレコが新しいタブレット、ジオグラフィカが古いスマホでした。

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せっかくの山城探訪でしたのでついでに黄峰城の石垣を載せます。

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芝山城は郭と土塁があったようですが、いわれてみればそうなのかもしれないな

という程度でしたので、三角点付近から眺めることのできた女木島、男木島の風景を…。

今日はいい天気でした(*^-^*)

2021年12月31日 (金)

金丸城址探訪

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今年の歩き納めにまんのう町長尾にある金丸城址を訪ねる。

鷹丸山の登山口である天神社から登るのが近道だが、猫山方面から辿って

鷹丸山(標高387.2m)を経由し、標高おおよそ230m付近にある金丸城址へと下った。


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標高を確認しながら鷹丸山からの落ち葉の積もった尾根道をゆるゆる

下ってゆくと、ありました。

堀切のようです。

左側は土塁でしょうか。

 

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土塁に上がってみるとこんな感じで、その左側の降りたところの平坦地が主郭のようでした。

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主郭跡。

その他、虎口などもあったようですが、残念ながらわたしには見分けることができませんでした。

 

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鷹丸山への登山口である天神社階段の北側道沿いには金丸城の城主で

あったとされる小亀氏の五輪塔群がありました。

※築城年代不明、築城主小亀城太郎と云われている。

小亀氏は天正17年ごろ、細川氏によって攻められ自刃。

2021年12月25日 (土)

麻城址探訪

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風がぴゅーぴゅー吹き、鼻水が後ろへ飛ぶ最中、

三豊市高瀬町上麻の標高おおよそ168mの麻城のあった小さな山を歩いた。

ここはタケノコの産地で、整備された竹林の中の林道を登ってゆくと

いくつかの分岐があるが案内板に従って歩くと堀切の手前の外郭にたどり着くことができる。

 

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外郭を上り少し下ると空堀(馬切)、そして六郭ー五郭ー四郭を過ぎると…。

 

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ねらい岩(大門石)があって…。

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段構えの第二郭、その向こうには主郭が見えていた。

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ここが主郭のあったとされる頂。

説明板によると戦国時代の麻の領主であった近藤国久の

詰め城であったそうな。

天正6年(1578年推定)に長曾我部元親の軍によって国久氏は

討ち死にした。

その場所は谷にあり「おじが谷(横死ヶ谷)」と呼んでいるそうな。

おじが谷へも行ってみたかったが、生憎と場所がわからない。

山頂からは北に大麻山(金比羅山)、西に朝日山が見えていた。

寒い!

2021年12月22日 (水)

雨滝城址へ

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さぬき市大川町富田中にある標高253.1mの雨滝山に登った。

ここには戦国時代に安富盛長によって築かれた雨滝城があった。

おおよそ120年余り、安富氏代々によって城は守られていたが、1583年に

長曾我部元親によって落城した。

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主郭のあった山頂には新旧の祠が残されている。

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遺構は曲輪の他、犬走り、堀切、虎口などなど、見事なまでに残されているが

なかでも石垣跡は440年近く経ったいまでも圧巻の存在でした。

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山頂からは津田湾や松原が眼下に広がり、素晴らしい眺めでした。

山頂に立っている城址案内板によると過去の発掘調査のときには、土器や

古瓦、陶磁器、小柄、短刀、金具などさまざまな遺物が発掘されたとか。

山頂で野鳥のさえずりを聴きながら、しばし景色を眺め、下山。

下山口で猿軍団に出合ったのですが、キーキーとうるさかったこと。

近くの山へ移動したときのこと、幼稚園か保育園かがあって

遊ぶ子どもたちの声がやはりキーキーと賑わしかったのが強く印象に残った一日でした。

なぬ!人間の子と猿とを同一視するなってかー。

すんません(*'ω'*)

 

2021年12月15日 (水)

三谷&王佐山城址探訪

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高松市にクレータ五座として知られている5つの里山がありますが、

そのうちの一つ、上佐山の山頂には昔々王佐山城というお城があったそうな。

城主は三谷氏、というわけで縁の地へ行ってきました。

とりあえず、三谷氏のお墓がある三谷城址へ。

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墓地への入り口には碑が建てられていて、三谷兵庫頭景晴景久道入之墓所とある。 

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鳥居の奥には殿様に相応しい大きく立派な五輪塔がドンと座ってました。

上佐山の山頂に立てられた説明板によると、1480年に寒川氏との戦いがあって、

それが讃岐の戦国時代の始まりだったとか。

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三谷城址から南へ歩き、上佐山へ登った。

竪堀、曲輪跡のある急登が続く。

最後に切岸と虎口と思われるところを上り詰めるとそこが主郭のあったとされる山頂でした。

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標高255.7mの山頂にはポツンと一本の木と小さな祠があった。

360度の展望で高松市街地や瀬戸内海、そしてクレーター五座が見渡せて、

気持ちのいい風景が広がっている。

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北端からはこの山に登る前に訪れた三谷城址(写真中央の一番小さな林)が眺められる。

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山頂を背に南側の急斜面を下り、隣にある標高193mの雌上佐山へ。

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一旦鞍部に下って再び登り、切岸を詰めて雌上佐山山頂に到着。

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引き返し雌上佐山と上佐山との鞍部のほんの少し上佐山側に上がったところから

西へ下山、途中にこの山城の縁のものかどうかわかりませんが、小さな社がありました。

 

2021年12月12日 (日)

羽床城址探訪

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綾川町羽床下にある羽床城址を訪れた。

讃岐七富士の一つである堤山(羽床富士)から近く東南東にある標高おおよそ85mほどの

小さな丘陵地で城山という。

その南側の登り口には説明板が立てられていて、小さな道標が導いてくれる。

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城主は羽床氏、二の丸には羽床氏を祀った社があって、土塁や虎口を過ぎるとその上に本丸がある。

ただし、本丸にはいまは何も残されておらず、草木が生い茂っている。

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本丸から北側へ下る山道を辿ると藪の中に深さ4mあったとされる井戸があって

かつてはこの井戸水でお姫様が顔を洗ったとされている。

だからどうしたと言われればそれまでだが、中を覗いてみると井戸水が陽の光に反射して

わずかに光っていた。

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北口に下りて南側に回り込むと羽床氏の内室であったキヌが創建したといわれている

本法寺があって、そこはキヌ自身の墓所となっていた。

キヌさんは西長尾城の城主の娘さん。

西長尾城といえば大高見峰から猫山へと繋がる連山の西の端に位置する城山のこと。

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ぐるっと回り込み駐車位置に戻った。

畔には暖かい日の光を浴びて小さなホトケノザがたくさん咲いていた。

因みに羽床軍は長曾我部軍と8度戦を交えたとか…。

 

2021年12月11日 (土)

栗隈城址探訪

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いい天気、だもんで讃岐の山城巡りに出かけた。

行き先はレオマワールドの近くの山で大高見峰北西に位置する栗隈城跡。

別名湯舟城ともいわれていて、お城の主郭はおおよそ標高211mの湯舟山にある。

さぬき新道(県道278号線)栗熊東辺りを走っていると、背の高い栗隈城跡へという看板があるので

これに従って走ってゆくと、しばらくでお城の案内板(縄張り図)があって、その少し先から山道に入り歩いてゆくようになる。

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山道の途中にこの城の支城である城ノ岡城、田村城、星濡城があり、道を折り返すようにして

登ってゆくと郭列を上り詰めたところに主郭のあった栗隈城跡に着く。

小さな看板以外には何もなく、ただただ落ち葉が敷き詰められているだけだった。

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尾根をさらに南に詰めてゆくと大高見峰からの襲撃に備えた櫓台跡があった。

さらに尾根を南に辿ったが、時刻はすでに午後4時近くだったので引き返す。

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GPSを携帯してなかったのでログ取りはしておらず、どこを歩いたのか

さっぱりわからずじまい。

台形状の大高見峰を右にゆくと小高見峰があって、さらに右の小さなピークがさぬき駒ヶ岳

だと思うのですが、湯舟山の台地状の尾根は駒ケ岳へ続いているのではないかと

帰宅後地図を眺めてそう思ったが、当たってるかどうか…?

しかし、なぜ城を大高見峰ではなく、北にある小さな尾根上のピークに建てたのだろうか

防御と水と食料との兼ね合いだろうか。

 

2021年12月 8日 (水)

屋島へ

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山頂にある水族館の様子を見たくて、3年ぶりの屋島へ。

ケーブルカーに乗って、とは遠い昔の話で今は廃墟。

子どもの頃に乗ったケーブルカーはもうぼろぼろです。

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遍路道へ出て、途中から屋島城址への道へ右折。

細くて急な階段が続き、息を切らせて何度か立ち止まりながらなんとかたどり着いた屋島城址。

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風景を楽しみながら北嶺先端にある遊鶴亭に行き、

眼下に見える長崎の鼻と沖に浮かぶ女木島・男木島、豊島を眺めしばしぼんやり。

引き返す途中、五剣山を眺めながらコーヒーブレイク、ココナッツチョコレートが美味しい。

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屋島寺西の展望台から高松市街地を眺め、そのまま西尾根へと

急斜面を下った。

地面にはクヌギの落ち葉が積もり、滑るわ滑るわでスッテンコロリン尻餅。

ロープにも助けられながらなんとか下山。

本日(12/7のこと)の歩行距離は膝故障以来最長の12kmでした。

めでたしめでたし♪

 

2021年12月 5日 (日)

志保山

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今日も大掃除、普段掃除の行き届いていないところにハタキを掛けると

埃が舞い散り、たちまち部屋中真っ白になった。

塵も積もれば山となる、一年間の埃はすごいもんです。

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というわけで今日もさっさと掃除を済ませて曽保のミカン畑から志保山へ。

天気上々、額に薄っすら汗が滲みました。

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いつものパラグライダー基地でパンを齧り、志保山で海を眺めながらコーヒーブレイク。

ついでに東峰まで足を伸ばした。

最近、七宝山を縦走する方が増えたようで、途中何人もの方とすれ違う。

昔と違って道が整備されベンチもあちこちに設置され、随分と歩きよくなりました。

 

2021年12月 3日 (金)

香色山

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お大師さんにお参りをしたあと善通寺五岳山のひとつで

もっとも標高が低く、市民に親しまれている香色山(こうしきざんもしくはこうしきやま)を歩いた。

先ずは登山口近くにある延命地蔵さんにお参りし、あと77年、150才まで生きるぞと

お願いしたが、この強欲ものというわけで虚しくもケッチンを喰らってしまった。

 

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それまで晴れていた空が一転掻き曇り、雨が降りだした。

欲の皮が突っ張っている人間への怒りだ。

傘も持ってないし、山頂にある東屋で30分ほど反省しながら雨宿り、すると雨は止み晴れてきた。

ヌハハハ~♪

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不動明王・愛染明王様と奥に鎮座します佐伯直遠祖神様。

後方は筆ノ山と我拝師山。

これからは欲は一切捨てまする ホンマカイナ~(-_-;)

 

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